論考「日本におけるファイリングシステムの現況とあるべき姿」の第二章の執筆のため、現在、簿冊の歴史について調べています。その過程で発見したのが「記録史料の管理と文書館」(安藤正人・青山英幸編、北海道大学図書刊行会、1996)。私が抱えている課題に関係ありそうな所を斜め読みしていて興味深く思ったのは、「中世後期(鎌倉時代末期から南北朝時代)に識字率が飛躍的に向上した」と記されている箇所(p.45)です。その結果として、惣村[註1]の成立と相俟って村落文書が急速に増加し、また、武士・職人・商人の世界において、文書によって所有権を確定するようになったそうです。
当初は、「日本では、古来、和紙で拠ったこよりで編綴した簿冊形式で文書管理が行われ、太平洋戦争の終わりぐらいまで、ずっと書類を綴じる文化を続けてきた[註2]」、「『日本では、最初から綴じてあり、ページを切り離すことができないノートを小学校から用いて字を書く習慣がある』『子どもの時から時系列に書くだけで、内容を分類する教育はされていない』『企業に勤めても同じことで、手帳に時系列に記入し、時系列に検索する習慣がある』といった日本独自の社会的背景があった[註3]からでもある」という、ある意味表層的な部分のみ捉えて、「簿冊型ファイリングを育んできた日本文化」という草稿を書いていました。しかし、現在は、編集主管からの指導もあり、もっと深掘りし、商用や行政文書等が、木簡、竹簡の時代を経て紙の巻物文書から巻物の断簡を和綴(和紙袋とじ)で括束する冊子(簿冊)型に変化し、やがて世界に類を見ないほどに膨大な近世行政文書群(村方、町方、城方、寺社方文書)に行き着く過程を四苦八苦しながら追いかけています。今回この御本で述べている中世後期に生じた変化が、私の仕事に関わっている可能性があるなどと、想像をたくましくしているところです。
[註1] 「惣村(そうそん)」:惣村(そうそん)は、中世日本における百姓の自治的・地縁的結合による共同組織(村落形態)を指す。惣(そう)ともいう。 出典Wikipedia
[註2] 高山正也監修「文書と記録−日本のレコード・マネジメントとアーカイブズへの道−」樹村房、(2018)
[註3] 坂口貴弘「アーカイブズと文書管理−米国型記録管理システムの形成と日本−」勉誠出版、(2016)
文書管理通信編集室 樹令(いつき・れい)
2019年12月23日 |