明後日、沖縄県では、全市町村で住民投票が行われます。紆余曲折はあったものの、関係各位のご尽力で実現にこぎつけることができて良かったと思います。
ところで、私は、これまでに一度、沖縄に行ったことがあります。でも、一番行きたかった時にはかないませんでした。
ラグビーに明け暮れた高校時代、米国から日本に返還された翌年の1973年5月、祖国復帰を記念して、沖縄で特別国体が開催されました。予選はなく、種目や人数などが各都道府県別に割り振られて実施された国体です。高校ラグビーは、全国を沖縄とそれ以外の3つのブロックに分け、抽選で決められた、と当時聞きました。たまたま私が通っていた高校のある県がその一つに選ばれ、県内の選抜でベスト25迄は残ったのですが、ベスト20には入れませんでした。
そして、サラリーマン時代、関心をもって数年前から毎年参加していた日本栄養・食糧学会の年次大会・総会が沖縄で開催され、1998年4月、初めて訪れました。日中は、研究テーマの情報収集や共同研究先の発掘を目的に、学会会場をかけずり回り、夕方からは毎晩、同僚や学者先生達と、郷土料理を肴に泡盛で盛り上がっていました。あっという間の3泊4日、観光する余裕はまったくありませんでした。当時一番印象に残ったのは、「長寿県No.1として名をはせた沖縄は、今やアメリカ由来のジャンクフードなどを若者が好んで食するため、どんどん順位が下がり始めた」という基調講演か何かで伺った話でした。
話変わって、沖縄と旭川との関係。こちらにきて何かの機会に初めて知ったのですが、先の太平洋戦争・沖縄戦でお亡くなりになられた兵士10万人弱の内1割強が北海道出身者だったとのこと[1]。その母体となったのが旭川第七師団。現在は、最新鋭の装備を有する陸上自衛隊第2師団として、郷土の防衛を全うされているだけでなく、先般行われた旭川冬まつりなどに協力していただいているそうです。
沖縄に行った時も耳にし、旭川にきても耳にした言葉に「本土(内地)と外地」があります。来旭したのが1月末、一番寒い時期にも関わらず、その寒さがまったく気にならなかった上に、いろいろな面で住みやすさを感じて、そのまま旭川に住み着いた私ですが、その何気ない言葉を突き詰めていくと、米軍基地と北方4島の問題など、深い所でつながっているところがあるのでは、などといろいろ考えさせられたりしています。
この沖縄ですが、1429年から始まる琉球王国が誕生してから後、日本→アメリカ→日本と3回、統治形態が変わったことになります。なので、公文書の取扱いや引継など、日本の他の都道府県とはかなり異なった様相になっている面があるのではと推察できます。
そこで、「公文書」×「沖縄」でググってみた結果、見つけたのが、平成21年10月30日(2009年)、沖縄県庁で開催された講演会「沖縄県の公文書管理―いま何をするべきか、何ができるか」[2]でした。公文書管理法が4ヶ月ほど前に公布され、2年後に施行されるという抜群のタイミングで開催された講演会、講師の先生や参加された方々のご尽力もあってか、非常に内容の濃いものであったような印象を受けました。一般人の参加もあったので、分かりやすい言葉で講演・ディスカッションが進められていて、かつ、現業に立った問題点などの指摘もあり、非常に勉強になる内容です。ゴミの山を片付ける過程で、琉球政府文書という宝の山を見つけた、との興味深い話の紹介もあり、ぜひご一読をお勧めします。
最後に、明後日の投票結果がどのようなものになるのかわかりませんが、対国(政府)だけでなく、日本国民にも向けられている、ということを私たちはしっかり認識すべきではないか、と思います。
[1]「最強師団の宿命」保阪正康(中央公論新社/中公文庫;2014年8月25日)によれば、
3ヶ月の戦闘で、9万5000人余の将兵が戦死、うち北海道出身者は1万2000人
ちなみに、犠牲になられた民間人は、沖縄県民60万人の4分の1にあたる15万人
[2] 平成21年度公文書講演会
「沖縄県の公文書管理―いま何をするべきか、何ができるか」
第一部 講演 後藤仁 (神奈川大学法学部教授)
第二部 パネルディスカッション
後藤仁
山城正也 (沖縄県総務部総務課私学課)
富永一也 (財団法人沖縄県文化振興会主幹)
コーディネーター 豊見山和美
内容は、以下からPDFでご覧いただけます。
http://www.archives.pref.okinawa.jp/wp-content/uploads/gotou2009.pdf
「文書管理通信」編集委員見習い 樹令(いつき・れい)
2019年2月22日 |